内池直人の  『 ワインを巡るよもやま話 』

yomoyama

●第2回「国際巨大資本グループのワイナリー買収について」

世界の大富豪、というと誰を思い浮かべるでしょうか?
アメリカの経済誌フォーブスでの調査によると 2023 年度、2024 年度と2年連続して1位になったのは、フランスのベルナール・アルノー氏で、資産額は 2330 億ドル(約34兆9500 億円)でした。2位はイーロン・マスク氏(テスラ、スペース X)、3位はジェフ・ベゾス氏(アマゾン)、4 位はフェイスブックのマーク・ザッカーバーグ氏と有名人が並びます。

ベルナール・アルノーが率いるLVMH(ルイヴィトン・モエヘネシー)グループ
2年連続して世界1位の大富豪に輝いたベルナール・アルノー氏とは何者か、というとご存じの方も多いかもしれませんが、LVMH社のCEOです。 LVMHとはルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーの略でファッション業界のみならず我らが酒類業界のトップに君臨する企業ということになります。 前回のコラムでは、ヨーロッパのワイン生産は小さな家族経営が主体となっていることについてお話ししましたが、大手ひしめくシャンパーニュについては例外的で今や国際的な複合企業体が中心となっています。特に国際ファッション業界との結びつきが強く、LVMH社はその典型的な存在と言えるでしょう。
さて、ベルナール・アルノー氏ですが1949年生まれのフランス人で、実はファッションのみならずワイン業界と特別に深い関係のある家柄ではありませんでした。 元々不動産業を営んでいましたが、1970年代に渡米した時にタクシー運転手から「フランスのことはよく知らないが、クリスチャン・ディオールなら知っている」と言われたことからファッション業界に興味を持つようになったという逸話があります。 そして1980年代になると当時経営不振でフランス国営となっていたクリスチャン・ディオールを買収して経営再建をしたところから経済界で知られる存在となりました。アルノー氏は、天才的なデザイナー個人が生み出す家内生産的経営で行き詰ったファッション企業を、徹底的なコスト削減とブランドの国際化浸透によって利益を生み出し、有名ブランドの企業再生と買収に次々に成功し続けます。アルノー氏はついに1989年ルイ・ヴィトンを傘下に収め、同時にモエ・ヘネシーグループの経営権を握り酒類業界にも進出しました。 最近では日本発祥のファッションブランドKENZO (ケンゾー)も加わっています。
傘下のワイン・スピリッツ飲料には、シャンパーニュやコニャックのみならず近年はボルドーやブルゴーニュまで広がりを見せつつあります。ベルナール・アルノー氏が酒類業界と関わるようになったのは、単なる投資ではなく、「高級・ラグジュアリー」という体験価値の中にワインやスピリッツが不可欠であると見抜いた戦略的判断からでした。彼はシャンパンやコニャックを“ラグジュアリー”の文脈で再定義することに成功したのです。ワイン・スピリッツがファッションに比べて毎年安定した利益をもたらしていることも彼にとって魅力となっているようです。 今日ベルナール・アルノー氏の主な傘下企業は以下の通りです。
ファッション関連
LOUIS VUITTON (ルイ・ヴィトン)
Dior / Christian Dior (ディオール/クリスチャン・ディオール)
GIVENCHY (ジバンシー)
FENDI (フェンディ)
LOEWE (ロエベ)
CELINE (セリーヌ)
KENZO (ケンゾー)
Loro Piana (ロロ・ピアーナ)
BVLGARI(ブルガリ)
Tiffany & Co.(ティファニー)
ワイン、ブランデー関連
Moet & Chandon (モエ・エ・シャンドン)
Dom Perignon (ドン・ペリニヨン)
Krug (クリュッグ)
Ruinart (リュイナール)
Veuve Clicquot Ponsardin (ヴーヴ・クリコ)
Hennessy (ヘネシー)
Chandon (シャンドン)
Cloudy Bay (クラウディー ベイ)
Chateau d'Yquem(シャトーディケム)
Chateau Cheval Blanc(シャトーシュヴァルブラン)
Clos des Lambrays(クロ・デ・ランブレイ)
量販店関連
Le Bon Marche (ボンマルシェ)
La Samaritaine (サマリテーヌ)
さて、ベルナール・アルノー氏のライバルであり、更にワイン業界に深く影響力の大きい巨大資本家のフランスの大富豪、というとフランソワ・ピノー親子を忘れるわけにいきません。
フランソワ・ピノー率いるケリングとアルテミス・グループ
フランソワ・ピノー氏(1936〜)とその息子フランソワ・アンリ・ピノー氏(1964〜)はケリングとアルテミス・グループの総裁です。 ケリングは、グッチやサンローラン、バレンシアガなど、世界的に有名な高級ブランドを数多く保有するグローバル企業。アルテミスは、ピノー家が所有する私的投資会社で、ケリングの株式の大部分を保有。ケリングの株主のみならず、オークションハウスのクリスティーズやワイン産業、保険業界にも投資を行っており、ピノー家の資産と影響力をさらに拡大しています。
ケリング・グループの主な傘下企業
GUCCI(グッチ)
Saint Laurent(サンローラン)
BALENCIAGA(バレンシアガ)
PUMA(プーマ)
アルテミス・グループの主な傘下企業
Christie's(クリスティーズ)
Chateau Latour(シャトーラトゥール=ポイヤック)
Domaine d'Eugenie (デュージェニー=ヴォーヌ・ロマネ)
Domaine Clos de Tart (クロ・ド・タール=モレ・サンドニ)
Domaine William Fevre(ウィリアム・フェーヴル=シャブリ)
Maison Bouchard Pere et Fils(ブシャール=ブルゴーニュ)
Maison Henriot(アンリオ=シャンパーニュ)
Chateau Grillet(シャトーグリエ=ローヌ・コンドリュー)他
フランソワ・ピノー氏は1993年にボルドーの五大シャトーの一つであるシャトー・ラトゥールを買収したことで、本格的にワイン産業に参入しました。これは、ピノー氏が文化的価値や歴史的背景を重視した投資を行う姿勢を示す重要な第一歩でした。
ピノー氏は芸術の熱心な支援者でもあり、ワインを「芸術の延長線上にある文化財」としてとらえ、長期的な視野で品質を高めるための投資を行っています。アルテミス・グループは単なる資産運用会社ではなく、「文化と土地の価値を守りながら、ビジネスとしても成立させる」哲学を持っています。所有するワイナリーすべてにおいて環境配慮型の農法(オーガニックやバイオダイナミック)への移行を進めており、「持続可能な高品質生産」というビジョンを掲げています。また、ブルゴーニュで毎年開催される歴史的慈善競売オスピス・ド・ボーヌについても2005年から2020年までの16年間にわたりクリスティーズ(Christie’s)が主催しました。そのことにより、地域的なイヴェントだったこの競売が世界規模に発展することとなり、大きく貢献することとなりました。
このように、ピノー氏のアルテミス・グループの方がより積極的にワイン業界に対する進出度が大きな動きとなっていますが、ベルナール・アルノー氏はピノー氏に対するライバル意識も強い様子でシャンパンのみならず近年ボルドーやブルゴーニュへの進出も深まってきています。基本的にヨーロッパのワイン産業は有名銘柄であっても家族的経営によって支えられてきていますが、90年代前後から高級ワインの価値が高まることと流れを同じくして国際コングロマリット(企業体)による参入を迎えることとなりました。
このように国際的大資本がワインの世界に流れてくることにより、ワインの国際的な認識度や経済的な価値も加速度的に高まりました。1990年代以降の世界的なワインブームの背景にはインターネットやワインジャーナリズムの普及のみならず、このような国際コングロマリットの影響も大きいと思われます。 現在は中世から続く伝統的家内生産的なワイン造りと国際的なファッション業界と同じ尺度で生み出される華やかなワイン産業とが混在している状態のように見受けられます。
家内生産的なワイン造りと国際的な大企業への変化について、わたくしは3年ほど前にボルドー、サンテミリオンのトップシャトーであるアンジェリュスのオーナー、ユベール・ド・ブアール氏とお話しする機会がありました。ブアール氏は代々アンジェリュスでワインを造る当主です。サンテミリオンの公式格付けにおいてアンジェリュスをグランクリュからプルミエ・グランクリュBを経て、ついにトップの栄冠であるプルミエ・グランクリュAに昇格させたレジェンドともいえる生産家です。実は話をしたちょうどこの時期に、アンジェリュスはサンテミリオン・グランクリュ格付けの組合から脱退してしまいました。その経緯について伺ったところ・・・、「サンテミリオンは小さな村で、以前はトップシャトーのオーナーも皆地元の住民たちでした。子供のころから毎日のように顔を合わせるし、何か問題が起こればすぐに話し合いができたものです。ところが、最近は外国の知らない人たちが増えてきて、話が通じなくなってきました。これはとても悲しいことです。私は、そんな状況に嫌気がさしたので、自分の求めるワインを他から影響されずに追い求めていきたい、と娘とともに考え行動したのです。」と話してくれました。
このような状況下で今後の20年くらいの間に有名ワインの世界は大きく変わっていくかもしれません。
個人的には、ワインが洗練されたものになっていくことは喜ばしいですが、個人の職人的な味わいから離れていってしまう遠い存在になっていくのは寂しい気がします。
2025/5/16 内池直人 筆